PCネットワークの管理活用を考える会/クライアント管理分科会、大阪座長の柳原です。
クライアント管理分科会では、単にクライアントPCの管理手法の議論にとどまらず、ユーザである人々が行う日々の運用・管理や、そのメンタル面にまで踏み込んだシステム管理の議論が行われています。3月には白浜での合宿も予定されているとか。皆さんもぜひこの分科会に参加してください。お待ちしています。
筆者には77歳になる年金生活の母親がおります。目は少し悪くなってきたようですが、足腰はしっかりしているので、友人と観劇に行ったり、お遍路に出たり、日帰りで温泉に遊びにいったりと、それなりに忙しい毎日を送っています。
こんな母親の住む実家には、様々なセールスマンが訪れます。
新聞の売り込みなどはかわいいほうで、やれ、家の壁を塗り替えたほうが良い。電話の修理が必要だ。TVのアンテナを交換したほうが良い。換気扇のフィルタを交換する。エアコンの室外機が壊れている、地震対策が必要だ、などと言うそうです。まったく迷惑な話です。
また、セールス電話も頻繁にかかってくるようで「ご主人様はいらっしゃいますか?」などとと言われると「外出しています(ガチャン)」と対応しているそうです。
「天国に外出してるんだから、嘘じゃないよねー」などと言っています。実は私の親父は1997年に他界しているのです。
こうしたセールスは、基本的にお断りしてもらっているのですが、時にはツボにはまるものもあるようです。ある日、ピッキング対策のために玄関のカギを交換したほうが良い、というセールスがやってきました。母もピッキング被害のニュースは見ていたようで、そのパンフレットを持って、真剣な顔をして私に相談しました。
母「今のカギは古いし、交換してもらおうか」
私「そのセールスさんが窃盗団じゃない保証は?」
母「???」
私「交換したいんなら、僕がちゃんとした店を探して手配するからさ」
母「???」
私が何を疑い、何を言いたかったのかは、読者の皆さんはおわかりでしょう。しかし、年老いた母親には、私の言っていることがすぐには理解できなかったようです。
私は常々、何がどの程度信頼できるのかを考える癖がついているので、すぐに疑ってかかりました。しかし年老いた母は私を見て「ひねた奴や。こんな子に育てた覚えはない」というイメージを持っているようです。まあ、確かにひねているのです。こればかりは仕方がありません。
しかし、相手が信頼できるかどうかということに常に注意を向ける態度というのは、都市生活者にとっては「生活の知恵」というべきものだと思います。しかし、現代を生きる人々が全員そうした知恵を持っているとも思えません。
先日、友人と酒を呑んでいる時に話題になったことを思い出しました。彼は生まれた地元の公務員として働き、ずっと地元で生活しています。そんなに酒に強いとも思えないのですが、週末などは近所に呑みに行くと、酔っぱらって公園のベンチで朝まで寝たりすることもあるのだとか。
都会の真ん中でそんなことをしていたら、オヤジ狩りなど酷い目に遭いそうな気がしますが、そこは地元という環境が優しいのでしょう。ご近所の人が家まで連れて帰ってくれたりするそうです。彼の口ぶりからは、そんな人々が集まった地元というものを信頼しきっていることが分かります。
もちろんこんな彼も、東京のど真ん中で同じことはやらかさないとは思いますが、それでも筆者から見ると、少し不安を感じます。普段から無条件に周囲を信頼する習慣を持っていると、いざという時に騙されたり、酷い目にあったりしないだろうか...
先に紹介した私の母親も、この地元の友人も、小さい頃から周囲を信頼できる環境で育ってきたのだと思います。そして、そのまま大人になってしまったのでしょう。友人の場合は、これからもずっと地元で生活していくのだと思いますので、急激な都市化が起こらない限りは、そのままでも大丈夫なのかもしれません。
しかし現代では、しつこいセールスの電話、電話によるオレオレ詐欺などは、どんな環境に住んでいようとお構いなしに飛び込んできます。インターネットも同じですね。こうしてみると、企業などの組織でのセキュリティを考えるとき、従業員が地元主体での採用なのか、全国からの採用なのかによって、その対策の進め方も違ってくるのではないでしょうか。つまり、地元で生まれ育ってきた人は、基本的に自身の周囲を信頼する傾向があり、全国から採用した場合は、それよりも周囲を信頼しないのではないかと思うのです。
とすれば、地方において従業員を地元主体で採用している場合、セキュリティ対策はより強化しておかなければならないように思います。特にソーシャルハッキングには弱いという可能性が高いのではないでしょうか。あくまでも仮説なのですが。
また、組織の規模にも着目する必要があるでしょう。
従業員が150人以下の企業では、ほぼ全員の顔がお互いに見分けられるはずです。それ以上になってくると、同じ会社の中でも、顔も名前も分からない人が出てくるでしょう。なぜなら、一人の人間が顔を名前をきちんと把握できる人数は150人前後だと言われているからです。これは経験的なものですが、様々な研究と歴史、現実の組織がそれを証明しています。
進化心理学者のロビン・ダンパーの研究によれば、さまざまな種のサルが形成するグループ(社会集団)の大きさ(個体数)と、その種の脳が持つ大脳新皮質(知覚を直接処理する部位ではなく,各知覚からの情報をさらに処理し、知覚をお互いに連合させる部位。言語機能がその典型)の割合を調べています。その結果、この両者にはかなり明確な正の相関が認められています。その比率をヒトに適用して計算してみると、ヒトが作り出す社会集団の平均的な大きさは150名程度だというのです。
また、紀元前のローマ軍の歩兵は「レギオン」という連隊制度を持っていました。その最小単位は中隊であり、その員数は120人〜160人だったそうです。ちなみに旧日本軍でも中隊は200人でした。隊長が隊員をすみずみまで把握できるのはこの程度の人数であり、同時に隊員間でのまとまりも良かったのではないでしょうか。
こうして考えてみると、150人前後までの組織があった場合、そこに外部の他者が現れると、誰でもすぐに分かります。しかしそれ以上の組織になってくると、もう誰が社内の人間で,誰がそうでないのかが分からなくなってきます。そうなると、何らかのシステマティックな認証方式が必要になってくるでしょう。例えば社員証を首からぶら下げたりする方法です。
こうした推察を総合すると、次のようになります。
この推察はまだ仮定の域を超えていませんが、150人以上の従業員を抱える地方企業は、セキュリティ面での対策を重視しておかないと、思わぬところで情報が漏洩したり、ソーシャルハッキングの被害に遭ったりする可能性が高いのではないか、と考えています。
パーソナルコンピュータとの付き合いは1979年のNEC社製PC-8001から始まっています。
1985年から当時はオフコンと呼ばれていたIBM社のシステム36を使って、機械製造メーカでの社内用生産管理システムの構築に関わりました。言語はRPGでした。
1990年ごろから社内にパソコン通信やLANを導入してきました。この頃からネットワーク上でのコミュニケーションに関わっており、1993年以降はインターネットとWindows NTによる社内業務システムの開発、運用を行ってきました。
1996年からはインターネット上でのコミュニティであるNT-Committee2に参加し、全国各地で勉強会を開催しています。
http://www.hidebohz.com/Meeting/
1997年からはIDGジャパンのWindows NT World誌に「システム管理者の眠れない夜」というコラムの連載を始めました。連載は既に7年目に突入し、誌名は「Windows Server World」に変わっていますが、読者の皆さんに支えられて今でも毎月、締め切りに追われる日々が続いています。
連載から生まれたメーリングリストもあります。ご参加はこちら。お気軽にどうぞ。
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