0と1の行間に魂は宿るのか

2026年8月6日

芸術は、ときに説明不要で人を感動させる。
時代背景や作者の生い立ちなど知らなくても、一枚の絵画、一本の映画に、無条件に心を揺さぶられることがある。

もっと身近な、音楽や料理もそうだ。
その作品に触れた瞬間、作り手の情熱やこだわりが、言葉を介さず魂にダイレクトに伝わってくるような感覚を、皆さんも経験したことがあるでしょう。

私は料理を口にしたとき、額に汗を滲ませる職人の姿を想像している。

では、私たちが日々対峙している「情シス」の世界はどうだろうか?

一見すると、そこは「0」と「1」で構成された記号の世界だ。
しかし、ネットワークのパケットキャプチャをじっと眺めていると、時折ふと、妙な生々しさを感じることがある。

厳格な標準規格に従っているはずなのに
・異常なまでの連打リトライからは「焦り」が…
・丁寧すぎるカスタムヘッダーからは「過保護なまでの優しさ」が…
・投げやりなエラーレスポンスからは「燃え尽きた絶望」が…
そんな関係者の心理や背景が透けて見えるのだ。

通信だけじゃない。
WebサイトやアプリのUIデザイン、業務で使うシステムや、そのマニュアルに至るまで、人が作ったモノには、規格や仕様には書いていない、人間の癖が垣間見える。
作り手の「人間性」や「感情の残像」が、微かに匂いを残しているのだろう。

無機質なデジタルだからこそ。そう、だからこそなのだ。
そこに持ち込まれた人間の熱量や美学、あるいは妥協や苦悩が、対比によって際立ってしまうのかもしれない。

そして今、この「デジタルの行間に人間味が宿る」という現象は、AIの台頭によって新たな局面を迎えていると思う。

AIが生成したテキストやコードに「人間くささ」を感じるとき、それはAIが心を持ったからではない。
キーボードを叩く私たちの指先から、プロンプトという対話を経て、こちらの「感情」がAIの出力へとにじみ出ているからだ。

『AIと戦う者は、その過程で自らがAIのように無機質とならないよう心せよ。
AIの深淵をのぞくとき、AIもまたこちらの感情の深淵をのぞいているのだ。』

AIという巨大な鏡をのぞき込むとき、そこにはAIの思考ではなく、自らの意図や焦り、情熱といった「自分自身の深淵」が映し出されている。
最近の進化したAIは、無駄に迎合したりせず、自我を抑えるよう調整が進んでいる。使用者の心を映す鏡として、チューニングされているように感じる。
ただひたすらに、受け手である私たちの感情を増幅して打ち返してくるのだ。

だからこそ、情シスに携わる私たち自身が、効率や論理の波に呑まれて、無機質なロボットのような存在になってはならない。
私たち情シスの本質は、システムを気持ちよく使うための設計者であって、人間がシステムの一部となることが目的ではないのだから。

画面の向こうにいるユーザーの心を、システムを通じて「無条件で揺り動かす」こと。
そして、自分が構築するインフラやコードに、「作り手の想いが魂にダイレクトに伝わる」ほどの情熱を込めること。
注意したいのは、ネガティブな感情はできるだけ排除すること。そこにはポジティブな感情を乗せて、システムをユーザーに届けよう。

芸術家がキャンバスに筆を走らせるように、私たちもまた、論理とシステムを媒体として「人間」を表現している。
AIを使って当たり前の時代を迎えた今だからこそ、0と1の行間に人の想いを宿せる血の通った情シスであり続けたいと思う。

森 厚
製造会社システム企画担当


ソフト開発会社にて、制御ソフト開発にSE・PGとして従事する。
2013年から社内情シスとして主にセキュリティとインフラを担当。
社内IT教育や各種ツールの導入はじめとした、ITを用いた業務効率化を担う。

© PC・ネットワークの管理・活用を考える会