私はこうして情シスになった

2019年9月4日

「コミュニティに育てられ、コミュニティに還元する」

なんとも、ふんわりとしたタイトルです。でも、これが、私の歩んできた漫画のような情シス街道です。「勝手に情シス」、「孤独な情シス」、「ひとり情シス」そして、「情シス」から「公認セキュリティ監査人補」へと私を導いてくれたのは、コミュニティで出会った人たちでした。

〈ごちゃまぜ~勝手に情シス時代〉
10年ほど前のある日、私は「勝手に情シス」を始めました。
なぜなら、当時の職場は情シス不在。プリンターの紙詰まりが取れないと言っては即電気屋さん、周りはみんなウィルスってなんですか~?という状態。立て続けに起こるトラブルに業務が滞り、いつ何が起こるかわからない状態を見かねたからです。
素人ながら、家業で鍛えた(?)工具さばきでHDD交換、メモリ増設、プリンターの分解等々を始めました。

〈孤独な情シス時代〉
そんなある日、親戚宅の近くで偶然開催していた教育系の見本市。そこで手に取ったチラシが現在も活動をつづけているコンピュータ利用教育学会のものでした。
そこでVisual Basicでツールを作るグループに出会い、これが初めてのコミュニティ体験となりました。

トロイの木馬の大量感染発生!
宛名シールづくりやちょっとした集計も、VBを作ることでいくらかスムーズになり始めた頃、当時の配属先でトロイの木馬の大量感染が起こりました。アンチウィルスソフトで駆除しても、次から次へと感染。OSを再セットアップしても3日ともたずに感染。
しかも詳しい人が一人もいない部署では、協力してくれる人もいません。無援のまま私は、本や技術サイトを頼りに自力でネットワーク構成を組み替えながら、OSのレジストリを書き換えてウィルス駆除を始めました。今思うと、ずいぶん無鉄砲なことをしたものです。

しかし、この経験を経て、セキュリティへの興味に一気にUP!

〈救いの手がやってきた~孤独な情シスからひとり情シスへ〉
実は、勤務先には数年前まで情報システム部門がなく、勉強会等に参加する予算も社内教育もありませんでした。もちろん伝手もコネもありません。
しかし、一旦火がついた私は、元々の凝り性もあって、無料の勉強会や、展示会をこれでもかと、自分の休みを使って訪ね歩きました。当時、公休の半分ぐらいを費やしていた記憶があります。

初めて参加したPCNWも、あちこちバラバラな機器の管理に困り、なんとなく調べていたときに偶然みつけ、可愛いイラストにつられたのがきっかけでした。よほど困っていたのか、初参加ながらも懇親会まで参加した記憶があります。

PCNWで知ったのは、「10人の情シスがいれば、10人の悩みがあるけど、10人分以上の解決策に出会える」ということ。年齢、職歴、業種も違うからこその面白さを味わいました。立場が違うからこそ、ざっくばらんに話ができる。失敗した話も誰かの役に立つことを実感しました。

そんな生活が1年ほど続いたあるとき、当時の配属先の新築移転が決まりました。それを機に、「ひとり情シス」となり、移転先でのネットワーク、サーバ、新たに導入する業務システムの計画に携わることになりました。運用手順やセキュリティポリシーの立案も担当することになり、監査に興味を持ち始めたのもこの頃です。

〈卒・ひとり情シス〉
その後、「勝手情シス」からスタートした私の情シスライフは、新設されたシステム部門への異動も果たし、「ひとり」も卒業することができました。気が付けば、参加したコミュニティを通じて全国にIT関係のつながりができ、気持ちの上でも「ひとり」だと思わなくなった自分がいました。

〈コミュニティに還す〉
現在は、情シスからは少し離れ、セキュリティ管理・監査、インシデント対応をメインの業務としています。ここに来るまで、様々な方と社外コミュニティを通じての出会いがありました。教材開発や、LTを通して、少しずつ、自分の得たものを還せるようにもなりました。

このたび、PCNWの運営委員をお引き受けするにあたり、PCNWをはじめとしたコミュニティに育てていただいた分、他のコミュニティや業務で得たものを、また、それぞれのコミュニティに還していくことができればと、願っています。

<お断り>
本稿の内容は著者の個人的見解であり、所属企業及びその業務と関係するものではありません。

山田夕子(めがとん・きんぎょ) 社会医療法人愛仁会勤務 公認情報セキュリティ監査人補

「人見知りの勝手に情シス」から公認セキュリティ監査人補へ、激流に流されるがごとく突っ走り、現在は日本セキュリティ監査協会のWGで机上演習教材の開発にも携わる。
趣味は楽器演奏と古代史など。夫が城と戦国時代を語ると長いのが悩み。

© PC・ネットワークの管理・活用を考える会